2018年9月21日金曜日

すずさんは生きとったんじゃね この世界の片隅にが終わった

カープ応援は左手で


 この夏のTBSドラマ「この世界の片隅に」が終わった。ラストシーンでは、なんとすずさんが生きており、カープ女子になっていた。白髪の女性の「負けんさんな」とすずさん(松本穂香)の「負けんさんな、広島」がオーバーラップしたので、そうかなと思っていたが、たまたま録画していたビデオを再生すると、黒田のレプリカユニフォームを着た女性は左手だけを上げて応援していた。右手を失ったすずさんとぴったり重なる。広島の復興の象徴であるカープをラストに持って行く。まあ、ある意味分かりやすい。今年もカープが快進撃を続け、連日マツダスタジアムが満員になっているという面もある。もし、敗戦が続き球場がらがらだと、そうもいかなかっただろう。

TBS「この世界の片隅に」から

93歳、元気な女性はごろごろいる


 映画を見て、そして漫画の原作を読んだときから、すずさんってどうなったんだろうと気になっていた。原作を読む限り、1943年(昭和18年)に18歳で嫁に来たすずさんは1925年ごろの生まれ。今年93歳か94歳だろうが、90を超えた女性など、我が周囲にはごろごろいる。それも元気で歩き回っており、カープ女子になって、マツダスタジアムでスクワット応援をやっていてもちっともおかしくない。さすがに夫の周作は生きてはいないだろう。残念ながら、その年齢の男を見ることは滅多にない。

妹のすみちゃんは?


 拾ってきて養子にした原爆孤児の女の子もどうだったのだろうと思っていた。生き残ったとはいえ、相当量の放射線を浴び、放射能を体内に取り込んでいる。髪の毛が抜けたり激しい下痢になったりしたこともあるはずだ。彼女の年齢は終戦時2つぐらいなので、1943年ぐらいの生まれ。今年75歳ぐらいか。とすると、ドラマの香川京子の方がもっと年上かな。

 妹のすみちゃんもどうだろう。爆発で届く熱線や爆風、強烈な放射線は免れている。しかし、母親を探すために広島市内を歩き回ったことで、放射化したさまざまな物質、原爆の放射性降下物からの放射線を浴び、放射能を体内に取り込んだ。手にできたあざは急性放射線障害で骨髄が一時的に機能を失い、血小板が作られなくなったことにより、内出血が起きていたのだろう。おそらく下痢など症状も。ただ、その後の食糧事情によっては生死は変わったような気がする。食事がある程度とれれば、体力が回復する。すずさんの祖母はノリを作るなど生産者であり、ある程度食料はあったのではないか。とすると、彼女も生き残った可能性もある。

枕崎台風で死者多数


 そんな彼女たちの戦後も気になる。広島では原爆で家族全滅のケースが続出。郊外から入ってきた人たちが、勝手に土地に線を引いて自分の所有を主張し、家を建てたり、店を構えたりしたことがまことしやかに語られている。呉は原爆こそ落ちてないが、海軍の拠点だっただけに激しい空襲で焼け野が原になっていた。
 そこへ追い打ちをかけるように昭和20年9月、枕崎台風が広島や呉を襲い、合わせて死者行方不明3000以上。坂の上の住居が多い呉市は土砂崩れで相当数が死んだ。猛烈な雨が放射能を洗い流したとの声もあるが。

続編は難しい、でも知りたい戦後のすずさん


 そうした強烈な体験をすずや周作がどう生きていったのか。周作がちゃんとしたサラリーマンとなり、平穏無事に戦後を過ごした可能性もあるけど。2人の間に子供はできなかったのかな。いじわるでとっても優しい周作の姉は。尾野真千子という強烈な個性の女優が演じただけに、結構、気になるのだ。
 続編を書くことなど、あまり意味はないかもしれない。戦争中の強烈な体験に比べれば、大したことはないはずだから。でも、そんなファミリーヒストリーはとても気になっている。

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