2018年11月30日金曜日

タトゥーシール、手作りでオリジナル

 生まれて初めてのタトゥーシール遊び。消しにくかったり、アレルギー反応が出たらやだなと思いつつも、貼り付けてみたら、まったく問題なし。どこかエロティックな気分になれることも分かった。ただ、シールを売っているのを見つけたのはドンキホーテだけ。図柄も2種類しかなかった。通販だと多数、販売されているが、1000円近い値段のものもあり結構、高い。ここは大胆に遊ぼうと、オリジナルを作ってみることにした。


PC関連で用紙売っていた


 そんなことを思いついたのは実はネットでタトゥシールの通販を調べているときだった。なぜかコンピューター周辺機器の販売をしているエレコムのシールのページが出てくる。プリンター用紙の話がなぜ?と思って、詳しく読むと、タトゥーシール用の用紙を売っていたのだ。
 
 電気屋さんで見てみると、はがきの大きさの用紙が3枚入って500円ぐらいで売っていた。ほっぺたに日の丸の写真をつけた女の子の写真。そうか、画像データをダウンロードしてプリントアウトすれば、どうにでも作れるのだ。

ネット上にはいくらでも無料イラスト


 日の丸や国旗に限らず、ネット上には無料イラストがヤマほどころがっている。花や蝶などいかにもタトゥー向きの図柄もあれば、骸骨などハロウィン向きのイラストなど、よりどりみどりだった。

エクセルで台紙作り


 まず台紙作りだ。安いとはいえ、はがきの大きさで160円ぐらいはする。もったいないので1枚の用紙にできるだけ多くの図柄を入れたい。片っ端からダウンロードする。次はエクセルの出番だ(エクセルの用は高級アプリは持って亡くて、無料アプリ)。はがき用紙に設定して、イラストを貼り付ける。縮小拡大の機能を使ってちょうどいい大きさにする。あとはプリントアウトするだけだ。

反転するのをお忘れなく


 印刷は裏返しになることを想定しなければいけない。キャノンのプリンターでは「Tシャツ転写紙」の設定を選択する。プリントした用紙の図柄側に粘着剤シートを貼り付ける。体に貼り付ける直前、粘着剤シートを外してぺったん。用紙の上から濡れタオルで抑えれば、用紙ははがれ、図柄だけが残る。イラストを探さなくても、手書きでもいいし、自分で撮った写真でもいい。何でもありなのだ。

バージョンアップしそう


 市販品では見つからなかったドラゴンや蝶などのタトゥーシールをつくり貼り付けてみた。肌に色鮮やかなタトゥーができた。ほぼ2日後には消えた。特段、風呂でこすったりしたわけではなかった。女性の場合、パンストをはいてすれるためか、太もも周辺は消えやすいとか。
 タトゥー遊びはさらにバージョンアップしそうだ。今は見えないところに貼っているけど、夏場とか、露出した肌のおしゃれに使ったりして。

2018年11月24日土曜日

ハロウィンの夜、渋谷はホコ天 もっと大規模でも

 深夜まで大騒ぎ、ごみがひどい、住民はたまったもんじゃない。ハロウィン当日と直前の土日で合わせて10人以上の逮捕者が出た東京・渋谷は、まるで無法地帯のような言い方がされ、渋谷区長は有料規制だの代々木公園に誘導するなどと言い出した。某大手新聞は「子供の行事だったはずなのに若者が台無しにした」と渋谷の騒動批判を繰り広げている。

 しかし、ハロウィン騒ぎをそんなに目の敵にする必要があるのだろうか。死者や大けが人が出たわけでもない。騒ぎはするが、暴動というほどではない。それに酔っ払いの乱行は今に始まったことではない。ましてやほとんど不夜城の渋谷。むしろ、道玄坂を歩行者天国にするなど管理したイベントにするとか、やり方はいくらでもあるのではないのか。


批判には違和感 いつものこと


 渋谷ハロウィン批判に関してすごく違和感がある。深夜まで大騒ぎ=いつものこと。住民は困ってる=渋谷の交差点周辺に住んでる人なんていない。ごみがひどい=朝方、カラスのえさ場。いつものことじゃん。若い酔っ払いがころがっているのもいつものこと。仮装しているかどうかの違いだけだ。センター街のけんかだって日常茶飯事。ハロウィンだからこの種のことが発生しているわけではない。

ホコ天だと交差点の行き来なし


 確かにまるでハロウィンの聖地のごとく全国、いや国の内外から人が集まり、交差点は往復を繰り返す人でほとんど通行不能となる。しかしだ、交差点の道路は東京にとって主要な道路でもない。ハロウィンの夜、通行停止にしてもほとんど影響はないはずだ。ハチ公前からの交差点、周囲に伸びる道玄坂、Bunkamura通り、みーんなホコ天にしちゃえばいい。そうすれば、交差点を行き来することがなくなるのだから、一定程度混雑は解消されるはず。

有料?代々木公園?そりゃ無理だ


 渋谷区長がいう「有料」って意味不明だが、「代々木公園誘導」も同じく意味不明だ。せっかくの仮装、誰かに見てもらってこそ。仮装したもの同士というより、一般の人に見てもらってこそのハロウィンなのだ。実際、通行人が見ず知らずの仮装の人たちと一緒に写真を撮っていた。仮装しない人も、「自分もしてみたい」という願望を彼らに投影しているのだ。どこかに押し込めたって、みんな出て行ってしまうだろう。
 

ニューヨークのハロウィンは大人の祭り


 「本来のハロウィーンのイメージは、仮装した子供らがかわいらしくお菓子をねだる、ほほえましい行事だったはず」。某大手新聞はそんなコラムを書いていた。しかし、それって本当だろうか。毎年恒例になっているニューヨークのハロウィンパレード。あれは明らかに大人の遊びだ。

 ネットで調べてみると、夜7時にグリニッジヴィレッジをスタート、1マイルほど歩く。仮装をしていれば誰でも参加可能。毎年6万人の参加者と200万人の見物人。渋谷なんぞ相手にならないぐらいの巨大なイベントだ。ダンサー・アーティスト・大道芸人なども参加、マイケルジャクソンのスリラーだけを踊る何百人のグループの映像も見かけた。世界中のテレビ中継で視聴者約1億人とか。日本だって渋谷というブランド、それぐらいやってもいいのではないのか。

現代の祭りに


 川崎市でパレードが行われているが、そんな官製のお祭りのどこが楽しいのか。おまけに昼だ。ハロウィンのパレードなら夜しかないだろう。昼間は子供に任せ、夜は大人。地域の祭りもほとんどすたれている現代、新しい祭りを作り出してもいいのではないのか。実際、東京でも地域の祭りだと、公道を人で埋め尽くし、渋滞が起きているのだから。

2018年11月20日火曜日

明神池を目指しスタート(上高地その2)

 初めての上高地で散策にスタートしたのは午後3時でした。河童橋から明神池まで往復約7キロ。午後5時過ぎの日没を考えると、そうぼやぼやもしてられません。幸い、天候は一段と回復し空は真っ青。日差しは日没ぎりぎりまで、照らしてくれそうです。


 残された時間で目標達成のためには、散策でもハイキングでもなく、ウォーキングに徹するしかありません。スマホのウォーキングアプリをスタートさせると、いつものスピードで明神橋に向かいます。2時間ぐらいのコースになるのかな。


1日7キロなんて健脚前提


 考えてみれば、この7キロという道のり、普段歩く距離ではありません。ハイキングというなら1日かけて歩く距離で、2時間で歩くというのはかなりの健脚が求められていると考えていいでしょう。おまけに歩いてみると、自然研究路は途中、広場があったりするなど、休めるような構造にはなっていませんでした。つまり往復7キロをさっさと歩いて明神池に行くことが前提になっているようにも感じます。
 まあ、ここを経由して穂高連山に進む人も多いので当然のことかもしれないけど。こういう健脚前提みたいな点が、どこかお仕着っぽくて、高齢者が多い今時には合わないかな。

ウォーキングで準備万端


 幸いこの数ヶ月、抗がん剤の副作用からの脱却、メタボ対策として、週1、2回4~5キロのウォーキングに取り組んでおり、歩く力はかなり強化されているはずです。靴も歩行を後押しするジャングルモック。準備は整っています。歩き始めてみると、自然研究路はとてもきれいに整備されていて、歩きやすいことが分かりました。湿地帯の岳沢では尾瀬のようにボードの通路もありました。アップダウンがない、整備がよく行きどいた場所ばかりなのでほとんど疲れは感じません。


明神池到達、汗もかかず


 約40分ほど歩くと、明神橋が見える梓川の土手沿いに出てきました。向こうに明神橋が見えます。ということは目的の明神池もすぐそばです。土手沿いの通路から降り、明神池に向かいます。ほとんど足に疲れは感じません。気温も15度前後とちょうどよく、汗もかいていません。神社もある明神池周辺はいい休憩場所になるはずです。

大病の平癒お祈り


 手前にある、国の登録有形文化財の宿泊・カフェの嘉門次小屋の前を通り過ぎると、神社の建物が見えてきました。ただ、そちらは社務所のようなもので、お参り用には小さな拝殿があるだけ。ほとんど祠みたいな拝殿でお参りを済ませると、社務所で料金を払って明神池へ向かいます。日本アルプスの総鎮守、海陸交通守護の神さまとのこと。取りあえずわが大病の平癒をお祈りしてきました。御利益あればいいな。


紅葉とはいうけれど


 明神池は古い流路が明神岳からの崩落砂礫によってせき止められてできた池。好天の下、山肌が行けに映りとても美しいです。音も何もしない静寂な空間。しばし休憩ですが、結局立ちっぱなしだから、そう休んだ感じはしないかな。10月半ばは上高地では紅葉シーズンなのですが、いかにも紅葉らしい赤い樹木はほとんどなく、黄色く色づいた木々が見える程度。帰り際、バスターミナルで働いていた人に聞いたところ、「上高地の紅葉はこんなもんです。赤い木とかは少ないし」でした。


梓川左岸から戻る


 10分ほど休んだところで、今度は梓川左岸を通って河童橋に向かいます。一般的には左岸→右岸のコースを歩くみたいですが、逆コースを歩いています。左岸コースはどちらかというと道も整備されているし、単純な感じがしました。途中、オーストラリア観光客から英語で道を聞かれドギマギ。おかしかったのは、「熊を探しに来た」と話したことでした。

キャンプ場も整備


 あと1キロを切ったところで、さすがに足に疲れを感じました。ふと見ると、キャンプ場です。「森のリゾート小梨 キャンプ場」。さすがに洗練の上高地。テントが張りやすそうなサイト、水や炊事用の設備も整ってました。実は車にテントや寝袋を積んでました。まったくその気がなかったので準備しなかったけど、知っていれば・・・やっぱまだ無理かな。外国人観光客のグループがテントを張ってました。これからバーベキューかしら。楽しそう、でも夕暮れになってちょっと寒い感じもしました。夜はどうなのかしら。

ぎりぎり最終シャトルバス


 すぐに河童橋が見えました。散策の終わりに近づきました。河童橋のたもとでウォーキングアプリをチェック。歩行距離8・65キロ。1時間50分、867カロリーでした。 5時近くになると、さすがに日差しも弱く、気温も下がってきます。とても大正池に歩く気力はありません。バスターミナルまで歩き、乗車前にコーヒーでもと思ったら、店はみんな閉まってました。おまけに沢渡の駐車場に行くシャトルバスは最終が停車中。ぼやぼやしてる時間はありませんでした。そうそう、バスがサルの群れに遭遇して立ち往生ってこともありました。

次の機会はキャンプかな


 沢渡の駐車場までは、暖かいバスの中でうつらうつら。長時間ドライブに備えてちょうどいい休みになりました。真っ暗になった国道158号、中央道、圏央道、東名と逆コースをサービスエリアごとに休んで約5時間のドライブでした。
 次の機会があればキャンプで1泊し、河童橋から大正橋、往復7キロ、河童橋から徳沢、往復12キロなんて楽しそう。装備はそれなりに大変なんでしょうけどね。

2018年11月17日土曜日

一挙9枚のフェルメール 大胆な試みだ

 もともとフェルメール展を見る予定ではなかったんです。平日でも相当な混雑が予想され、とりあえず同じ上野で開かれているムンク展を見に行ったのです。その帰りのこと、フェルメール展が開かれている上野の森美術館の前を通ると、行列が消えています。チケット売り場前で「入れますか」と聞くと、午後3時の回なら入れます。このとき、午後4時過ぎ、「時間がないのでは」と聞くと、「入ってしまえば何時間でも終わりまでいられます」との説明。それならと2700円という高額料金を払いました。日時指定入場制という入場制限はあったけど、時間制限はなかったのね。

 世界でわずか35点しか作品がないフェルメール。そのうち9点を一挙に見られるなんて、かなり大胆な試み。というか、ファンにはたまらない幸せでしょう。日本にも相当、ファンがいるはずで、入場制限も致し方なし。おそらく土日祝日は恐ろしい状態になっているでしょう。それに作品自体が小さいし、マジまともに見られるのか正直、おっかなびっくりの入場でした。


全員に音声案内サービス 2700円だもん


 チケット買って入ると、いきなり音声案内の機械とイヤホンが渡されました。ふつーは希望者だけだし、場合によっては有料のケースもありますが、さすが2700円という高額展です。それぐらいはサービスしてくれないと。

フェルメールの絵はどこ?


 展示場に入ってみると、暗い室内、一枚の絵に10~20人が群がって見るというおなじみの光景です。最初の絵を見ながら、音声案内の石原さとみの声を聞いていてふと思ったのが、「あれ、フェルメールの絵はどこにある?」でした。
 入り口で渡されたパンフのような小冊子を見ると、フェルメールの絵は40番台。なのにこの室内には40番台の絵は一切ありません。展示されているのは、いずれも知らない画家ばかり。かろうじてヤン・ステーンという言葉を知ってるぐらいです。それも詳しくは知りません。フェルメールと同時代のオランダの画家の作品群が展示されていますが、食指はわきません。これらの絵を一挙にすっ飛ばし、フェルメールの展示へと向かいます。ちょっともったいないけどね。
 

ほかの作品はすっ飛ばした 最初の絵は宗教画


 廊下のような通路を渡ってフェルメールの展示室へ。最初の展示が「マルタとマリアの家のキリスト」。ナレーションを聞くと、キリストを中心にした宗教画なのですが、見ただけではまず分からない作品。宗教画を書いていたの?と思う一方で、まったくそうらしくないというのも面白いです。


壁一面に7枚の絵 20~30人が群がって


 続いて、壁一面にずらりとフェルメール作品が並びます。「ワイングラス(日本初公開)」「手紙を書く女」「リュートを調弦する女」「真珠の首飾りの女」「赤い帽子の娘(日本初公開)」「手紙を書く婦人と召使い」。
 これだけ並ぶとかなり壮観です。しかし、さほど大きくもない一つの絵に、オランダ作品群よりさらに多い20~30人に群がり、背が低いとかなり見えにくそう。係員が少しずつ歩いてと小さく声を上げますが、みんな音声案内を聞いており、終わるまで動くに動けません。

5枚はすでに見てました 記憶ないけど


 ふと記憶を呼び起こすと、「赤い帽子の娘」と」「手紙を書く女」は米ワシントンのナショナルアートギャラリーで、「リュートを調弦する女」はニューヨークのメトロポリタン美術館でそれぞれ見たことがあるようなのです。「真珠の首飾りの女」だけはドイツのベルリン国立美術館で見た際、かなりお気に入りとなり、A4ぐらいのポスターを購入し、今も飾っていますけどね。「ワイングラス」もこのときに見ていたようでした。つまり5つは見ていたことになりますが、世界の3つの美術館を回った結果であって、一度に見られるなんて、かなり幸せかもしれません。


「牛乳を注ぐ女」がすごい、「真珠の首飾りの女」が一押しだったけど


 かなり精密な「手紙を書く婦人と召使い」を経て、トリを飾るのが、「牛乳を注ぐ女」。これまで見た中では「真珠の首飾りの女」が一番と思ってましたが、絵のすごさという点では「牛乳」の方が上かな。あの時代、光と影をあんな風に見事に描けるなんてとにかくすごい。

誰が買って、どう保管維持?


 もっとも、庶民の日常を描いたこの種の絵って、いったい、誰が購入したんだろう。宮廷画家や宗教画家の絵なら、王宮や教会がつぶれない限りそれなりに保存されていくだろうけど、一般の商家などが、フェルメールの作品を購入した後、それほど厳重に保存したとは考えられません。今のような巨額な価値はないでしょうから、購入商家が没落すれば単なるゴミ。生涯35枚じゃとても画家として食べていけないし。いったい、どうしていたのかな。

2018年11月15日木曜日

「叫び」だけじゃなかった 上野のムンク展

・上野の東京都美術館のムンク展に出かけました。平日にもかかわらず結構な人。常設展示の美術館のように落ち着いて絵を楽しむというわけにはいきませんでした。土日は大変なことになるんだろうな。ま、そんなことはともかく、ムンクばかり約100点も集めた展覧会はかなりのボリューム。叫びだけでなく「マドンナ」「接吻」「吸血鬼」などさまざまなバリエーションの絵画が見られて楽しめました。


フェルメール展に比べれば


 3つあるチケット売り場には、それぞれ10人ほどの行列。入場は10分待ちとの掲示があり、それぐらいならとチケット購入。朝日新聞の100円引き割引券を使って1500円。来る途中、上野の森美術館前を通ったのですが、あちらはフェルメール展をやっており、長蛇の列。それよりはましかな。


結構、ナルシスト?


 ムンク自身のポートレートから始まった展示は、次にムンクの肖像コーナーが続きます。写真を撮って自分で書いていたとのことですが、この人、結構ナルシスト。年老いていく自分を描いても面白くないだろうとは余計なお世話か。絵の企画展でよくありがちですが、悪いけど「見ても見なくても」いい作品を前半に並べるのは勘弁してほしいかな。それだけで疲れちゃうし。


色彩豊かな油彩画、そんな絵、知らなかった


 続いて「メランコリー」「死と春」「夏の夜、人魚」=これはもっと後だったか=など大きなキャンバスに描かれた油彩画が続きます。いずれも色彩が豊か。白黒で描かれた「叫び」のイメージから、なんとなくこうした色合いの作品は想像していなかったので、意外感からか、魅入られます。

「叫び」は別格、案外暗くない


 いよいよ「叫び」です。この作品だけは別に通路が作られ、近くで見たい人は通路を歩き、じっくり見たい人は通路の後ろ側からと、分けてあります。当然のことながら、叫びは別なのかな。緑、赤、オレンジ、黄色、青-ホントに色彩豊かです。この絵を見る限り、すごく暗いイメージがあった「叫び」もちょっと違うイメージを持ちそうです。


「接吻」すごくエロティック 「マドンナ」は現代のマドンナ?


 これで満足と言いたいところだけど、その先にも見所が待ってました。「マドンナ」「接吻「吸血鬼」などの作品群です。ムンクという人は同じ題材を、エッチング、リトグラフ、油絵などさまざまな手法で描いており、それぞれに趣があり面白いです。
 もっとも迫力を感じたのは、エッチングなど白黒の作品でした。マドンナはまるで現代のポスターのよう。米のスーパースター、マドンナのCDジャケットなどで似た図柄を見たような記憶が。接吻は顔がつぶしてあるのは面白かったけど、男女がヌードで抱き合う図柄はとてもエロティックです。
 吸血鬼はもしかしたら、ニューヨークのメトロポリタン美術館で見たかもしれないのですが、記憶は全くありません。でも、何種類もバリエーションがあったとは。
 「生命のダンス「すすり泣く裸婦」「赤と白」など終盤作品群も結構、楽しめました。

巨大なムンク展、なぜポスターないの?


 ノルウェー・オスロにある市立ムンク美術館が誇る世界最大のコレクションを中心に油絵60点を集めたという大ムンク展です。ただ、同じ作者の絵画だけをずっと見続けるのはかなり疲れます。それにしても、日本で企画展をやる際、どうしてあんなに暗くするんでしょう。絵も見ずらいし、横の説明もよく見えません。それと、グッズの中に通常なら販売されるA4、A3ぐらいの絵画ポスターを見かけませんでした。オスロ側と何かあったのかしら。

2018年11月10日土曜日

ようやく上高地デビュー(1) 洗練されすぎかなあ

 上高地といえば、地方出身者には特別な響きがあります。中学や高校の教科書に登場、どこかまぶしい都会のリゾートという雰囲気。観光客も東京の人が多くて、おしゃれなんだろうなと感じていました。そして首都圏在住が四半世紀を超え、ようやくデビューしました。といっても、日帰りドライブ、散策というより、実質ウォーキングでしたけど。わずか数時間の滞在でえらそーなことは言えないけど「美しい、でも洗練されすぎていて、ワイルドさがない自然」というのが正直な感想でした。もちろん穂高連峰などの登山は別でしょうけどね。


首都圏から快調なドライブ


 すでに紅葉シーズン入りというネット情報で10月半ばの平日午前10時前スタート。スマホのカーナビ情報では中央道の松本ICまで3時間とのデータが出ています。首都圏は曇りですが、上高地など長野県南部は午後に入ると天候が回復する見込み。
 東名、圏央道、中央道と快調なドライブ。予定通り午後1時前には松本ICに到着、国道158号で上高地へ。

山岳道路通り、沢渡の駐車場でタクシー乗り換え


 通行規制でマイカーでは入れないため、沢渡駐車場へと向かいますが、片側1車線の国道158号は狭くて急カーブの連続とかなりの難路です。バスが前にいると、追い越せないので長い列ができます。冬なんてとても走れないな。約1時間弱で沢渡に到着しました。バスに乗ろうとしたところ、タクシーの運転手から声をかけられました。こちらは1人だけど、たまたま2人ずつ計4人が車を停めたばかりなのを見て、5人一緒にタクシーに乗れば1人850円でシャトルバスの1250円より安いというのです。渡りに船と4人の皆さんに声をかけ、5人で上高地に向かいました。運転手さんの説明を聞きながら、曲がりくねったかなり急峻な坂を登ること15分、秋の日差しをいっぱいに浴びた穂高連峰の美しい山肌が見えてきました。天候が回復するという天気予報通りです。


河童橋から明神池往復が基本


 タクシーはバスターミナル隣接するタクシー乗降場に着きます。運転手さんに「初めての上高地、お勧めは」と聞くと、「河童橋から明神池の往復が基本」とのお答え。往復7キロもあるけどというと「全然、大丈夫」。「河童橋まで戻ったら、大正池まで行けば?」。「ええー、そりゃ無理」、「いえいえ大丈夫ですよ」。とても楽観的な運転手さんでした。
 
 「河童橋→明神池」コースと決め、まず歩いて数分の河童橋へと向かいます。時刻は午後3時前。梓川沿いの遊歩道を歩いていると、散策を終えバスターミナルに向かう人の姿が目立ちます。時間が時間ですもんね。遊歩道のベンチに座りまず腹ごしらえです。河童橋周囲にはいくつものカフェやレストランがあります。でも、どこが美味しそうか、席が空いているかなんて調べている時間はありません。というか、そうなることを考えてお弁当を持ってきました。おむすび2個と明太子、ゆで卵という簡単なものだけど、手早く食べられてちょうどいいかな。ランチタイムはたぶん10分もないでしょう。

絶景、河童橋から穂高連峰


 お茶をぐいと飲むと、まず河童橋です。橋の上に立って、穂高連峰を見ると,切り立った3000メートル級の山々。目の前を流れる梓川の清流。深まる秋を前に色づき始めた木々の緑。インスタスポットというには知られすぎていますが,これだけの絶景を眺められることなんて滅多にないと思いました。運がよかったのか、その日、ガスが切れ始めて、しっかりと穂高連峰の岩肌やカールまで見ることができました。橋の上ではほぼ100%が写真を撮っています。


いよいよスタート


 橋を渡って、梓川右岸を明神池方向に歩きはじめました。あらためて周りを見ると、宿泊施設やカフェ。人でごった返しています。確かに「上高地銀座」と呼ばれておかしくないなあ。だけど、これだけ奥に入った場所で、これだけの人の数。いい季節だからといって、ちょっと多すぎ。中国、韓国などアジア系、欧米人の姿も目立ちます。さて、いよいよ散策スタートですがそれは次回に。

2018年11月8日木曜日

夏みかんの木、とうとう終わりかも ほとんど枯れてしまった

 かつて300個を超える実がなった夏みかんの木。ついに終わりの日を迎えているようだ。カイガラムシに全体を侵され、今年初め、枝葉のせん定、農薬散布を行った結果、春になってもなぜか、枝葉は伸びず、幹の表面がはがれ始めた。両親が家を新築してしばらく後の1970年半ばに植えられたと思われるが、半世紀を前に寿命を終えつつあるようだ。何とか回復させたいと思うのだが、未だ手立てがない。


300個も実をつけていた


 両親が地上から消え去り、日常的に世話をする人がいなくなって8年。最初の2年は300個以上の実をつけ、収穫も1日がかりだった。いずれもきれいな実ばかりで、汚れなどまったくついていなかった。食べ切れなぐらいたくさんのマーマレードを作った。自分で伸びすぎた枝を切り、いびつな形となったためか、少しずつ減り始め、150個前後になった。

異変、びっしりとカイガラムシ


 ところが2015年から16年にかけ、異変が起きた。夏場につけていた小さな実が成長せず、年明けに採取したときは50~60個しかなく、それも大半が表面に黒い斑点がつくすす病になっていた。
 樹木を細かく観察し、原因は間もなく分かった。幹や枝葉にびっしりとついた白い小さな虫。フジカイガラムシと思われる害虫だった。2017年6月、ヤツらが増殖する時期を狙って、侵された枝葉を落とした。しかし1カ月後見たときは再び増え始めており、本格的な駆除作戦を決意。1月に50~60個ほどの夏みかんを収穫した後に、シルバー人材センターに依頼し、せん定をした。8000円だった。


枝葉をせん定、農薬散布


 枝葉の大半にカイガラムシが付着していた。「思い切り切って」と頼んだ結果、夏みかんはほぼ太い幹を残すだけになった。幹の途中から伸びる新しい葉は実をつけないから、残しても意味はないとシルバーさんからアドバイスも受けていた。
 次に着手したのが、農薬散布だった。カイガラムシに効くというのマシン油製剤。いわゆる農薬と違って、機械油を加工して農薬のようにした物で、虫を油で覆って窒息させるようだった。ホームセンターで、柑橘類のカイガラムシ対策として、冬の間、よく出回っていると聞いていた。

春になっても新芽が出ない


 規定通り希釈し、手押しポンプの散布機に入れ、せっせと散布した。ほとんど丸はげ状態になっており、かなり丁寧にまいた。そして4月、「あれっ」と思った。例年なら出てくるはずの新芽が全く出てこないのだ。枝の先はせん定されたままの状態だ。
 5月になっても変わらなかった。幹のかなり下部から枝が1本だけ伸びていたが、青い葉をつけたのはそれだけだった。

何が失敗だったのか


 8月になると、さらに木は弱まっていた。あちこちで表面の皮がはげ、白い幹の内部がむき出しになっていた。「たぶん、先の方は枯れている。根元の新しい枝だけで再生するかどうか」と多少、草木に詳しい知人が話した。もちろん、小さな実などもどこにもない。悔しいことにほとんど枯れかけた幹にもカイガラムシがついていた。
 しかし、どうしてこんなことになったのだろう。せん定した量が多すぎたのか、マシン油製剤の影響か。突然、寿命が来たなんてことはあり得ないだろう。すす病が残ったにしろ、何もしなければここまで悲惨なことにはならなかったはず、ど後悔ばかりしている。ホントに悲しい。

2018年11月6日火曜日

ローマの休日、オードリー、ワイラーの思い

NHKBSで先日、アナザーストーリー『オードリーとローマの休日 秘めた野心 貫いた思い』を見た。昨年11月の再放送のようだったが、デビュー時や晩年のオードリー・ヘップバーンの私生活、監督のウイリアム・ワイラーの平和にかけた思い、当時の時代がうかがえ面白かった。日本初公開となる極秘のプライベート映像でオードリーのビキニ姿が出てきたときには、一瞬、目を見張った。

デビュー時、眉の形整える


 オードリーの息子や担当メイキャップアーチストの息子、そしてワイラーの娘がそれぞれ証言するという構成。親という存在、仕事や夫婦のことなどを子供にぺらぺらしゃべったりしないもの。そのため、子供といえど案外、知っていることは少ない感じもするのだが、オードリーにワイラーという大物中の大物、資料もたくさん残していたのだろう。

 最初の登場してきた男性メイキャッパーの息子。オードリーがデビューに当たって、眉毛の形を変えたことを明らかにする。男一般だとその変化に気づくのは難しいだろうが、目尻に向かって細く整えられた眉は,表情を柔らかくし、女らしく見える。

赤狩りで追放の脚本家起用


 赤狩りの嵐が吹き荒れたハリウッドで、自分の意志を貫いたワイラーの話も興味深かった。遠い記憶でワイラーが赤狩りに反対していたことは知っていたが、ローマの休日の脚本に、ハリウッドを追放されたドルトン・トランボを起用。偽名で脚本を書かせ、「資金が出なくなる」とそのことを隠していた。トランボといえば、それから20数年後、自らの反戦小説「ジョニーは戦場に行った」を映画化し、カンヌ映画祭で審査員特別グランプリを受賞するなど、反骨の映画人。第2次世界大戦が終わってまだ7年、ローマの休日は単なる王女様と新聞記者の恋愛おとぎ話ではなく、平和への期待を込めた作品だったことをあらためて知った。

映画から20年後に見てもまぶしいローマ


 もっとも作品を初めて見た1970年ごろ、すでに日本が高度経済成長期に入り、東京五輪、大阪万博も開かれていたというのに、終戦からそれほど時間がたっていないローマは美しく、スペイン階段でのジェラート、サンタンジェロ城近くのダンスパーティー、グレゴリーペックが住むアパートなどみんなまぶしかった。
 トレビの泉前のシーンでペックがカメラを無理矢理借りようとする女の子が、ワイラーの娘で、75歳になった彼女が父親の話をするのも面白かった。

ローマで子育て ビキニで遊ぶ姿も


 最後はオードリーの2番目の息子の話。1967年の「暗くなるまで待って」を最後に突如、映画への出演をやめ、1976年、ショーン・コネリーと共演した歴史映画「ロビンとマリアン」まで空白の期間を過ごすことになる。
 この間,彼女は離婚、再婚、さらには2人目の子を出産。ローマで普通の家族のように暮らしたという。パパラッチとけんかばかりしていたと1970年生まれの息子は証言する。「今となっては、いろんな写真が残っていてありがたい」とも話す。このときの映像として、ビキニ姿でヨット遊びをする姿が映し出された。肌を大きく露出したセクシーなシーンなぞまったく思い浮かばない彼女だけに、この姿が後悔されたのは驚きでもある。

 晩年はアフリカの支援活動に取り組み、ユニセフの親善大使にもなる。1993年、がんのため死去。まだ63歳だった。やはり美人薄命なのか。

2018年11月1日木曜日

速報、2018年渋谷のハロウィン

ウォーリーは減ったかな


 ちかんや暴力などで土日と合わせて10人以上の逮捕者が出た渋谷のハロウィン。31日本番は、幸い日が暮れ始めた午後5時ごろは、酔っ払いもおらずふだんの渋谷に色とりどりのコスチュームに身を包んだハロウィンたちの姿がありました。2、3年前に比べると、ウォーリーが減ったかな。女の子は激しいコスプレというより、可愛いを目指したみたいでした。


まもなくこの狂躁も終わり


 帰ろうと電車に乗ろうとしたら、どんどんハロウィンたちが降りてきました。あの後、さらに混乱の極致に向かっていったんでしょうね。渋谷はビルの高層化が進み、いずれハチ公像はペデステリアンデッキに移り、スクランブル交差点も今のような形でなくなるとか。ハロウィンの狂躁もそれまでの短い命かな。
 可愛いハロウィンのお嬢さんたち、モデルになってくれてありがとう。