2018年1月5日金曜日

スーザン・ジョージの思い出、「わらの犬」でオンナに

 バイオレンス映画の巨匠といわれたサム・ペキンパー監督の作品で「わらの犬」という映画がある。1972年の日本公開。主演のダスティン・ホフマン演じるおとなしい数学者デイヴィッド・サムナーが、激しい暴力にさらされ、自ら暴力の世界に身を投じるというストーリーだが、強姦シーンが数分以上も続き、一般の市民が殺し合うという展開は、地方に住む当時の高校生には衝撃的だった。そうした作品の中で妙な存在感を示したのが数学者の妻エイミーを演じたスーザン・ジョージ。それ以前に出演していたのがマーク・レスター「小さな目撃者」のお姉さん役、「おませなツインキー」という青春映画だけに、ヌードだけでなく強姦シーンに至る体当たりの演技は強く印象が残った。わらの犬の中でそんなスーザン・ジョージのエロチックなシーンを振り返ってみた。


めくり上げたスカートの中に白いパンティ


 アメリカからエイミーの故郷のイギリスの片田舎に戻ってきたサムナー夫婦。1970年前後と言えば先進国で学生運動が吹き荒れ、女性がウーマンリブを主張して自由な服装を始めた時代。アメリカで生活してきたエイミーは、ノーブラで田舎町を闊歩する。セーターから胸の突起を見せつける姿は当時の欧米の映画では当たり前。日本で見ることはなかったけど。
 最初のエロチックなシーンは、車から降りようとして、パンストの破れに気づき、スカートをまくり上げて調べる場面。白いパンティがくっきり浮かび上がる。地元の男たちに見られていることを知り「チッ」という表情を見せる。前2作では可愛い女の子を演じていたが、今回は気が強くてわがままなイギリス娘として登場している。決して美形とは言えない顔なのだが、どこか気になるところがある。


ガラス越しにくっきり乳房


 次のシーンは上半身のヌード。セーターを脱ぎ乳房をむき出しにしたまま、ガラス越しに外で作業をする男たちを見るシーン。体を見せつけた上で、挑発するような表情が印象的だ。前2作では想像もつかなかったが、なかなかの巨乳だ。ただ、20歳そこそこにしては上の方にボリュームがなく、ごくふつーのおっぱいだったが、そうした体でもあえて見せるのが当時の女優さんだった。


強姦シーンでオンナのサガ


 ヤマ場の1つともいえるエイミーの強姦シーン。幼なじみに殴られ、ガウンも破られ、パンティはプチッと切り離されしまう。実際、そんなことをしたことはないが、そんなに簡単に破れるものかと不思議に思ったものだ。おまけに極小だ。1970年当時、あんな小さなパンティは日本ではほとんど流通していなかったのではないか。
 挿入したと思われる(上半身しか写していない)瞬間、涙がこぼれるが、不思議なのはその後。まるで恋人と抱き合うように男の体に手を回し、キスをせがむ。最初は嫌がっていたが、セックスによって感じてしまい・・・などという現代であれば一般の映画ではまず許されない描き方がなされている。AVでは当たり前のような表現だが、やはり違和感が残るのだ。スーザン・ジョージは美しい乳房や足は見せるのだが、全裸にはならないのは、そこが当時の限界だったということだろう。 

有名な強姦シーン

テロの時代には牧歌的


 女性への暴力を経て、映画はクライマックスの暴力の応酬へと突入していく。何人いたかは憶えてないけど、ホフマン、スーザン・ジョージ以外、みーんな死んじゃうのだ。撃ち殺されたり、わなにかかって窒息したり。これもまた、なかなか暴力的な表現。ペキンパーさんはホント好きだとしかいいようがない。「わらの犬」という意味合いをめぐって、当時いろいろな分析が交わされたような記憶があるが、ISなどイスラム過激派による意味不明のテロや、アメリカでよく起きる銃の乱射事件、などに比べると、とても牧歌的な戦いのようにも思えた。

日本でいえば石田えり


 ところで、当時の女優さんたちはどこかのタイミングで少女から女へと脱皮していた。このときの、スーザン・ジョージがまさにその瞬間で、可愛いお嬢さんは、強姦でも感じてしまう(男の幻想だけど)オトナのサガを演じる女になった。
 日本ではライザップでダイエットし、56歳のヌード写真集を出す石田えりかもしれない。1978年「翼は心につけて」で病気に冒される薄幸な少女を演じた彼女は3年後の「遠雷」では、永島 敏行と激しいベッドシーンを演じ、20歳そこそこにもかかわらず形の良い巨乳と熟れたボディには、びっくりさせられたものだ。
 ある意味、バストトップを出すことが、女優にとっての大人への階段だったような気がする。関根(高橋)恵子、栗原小巻。時代は違うが、深田恭子や長澤まさみはどこかガキっぽさが抜けない役しかできないのは、そうしたことが理由のような気がしてならない。

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