2019年10月24日木曜日

梨ジャム、メチャうま 甘酸っぱくすっきり 

 夏みかん、イチゴ、桃と続いたジャム作り。今年の最後と思って梨ジャムに挑戦してみた。梨のジャムは産地以外であまり見かけることはないが、作ってみると、甘酸っぱい味でとてもすっきりしたジャムができた。水分が多すぎて量は作れないが、これほど美味しいジャムができるなら、もっと作っておけばよかったと、ちょっと後悔している。


千葉の梨街道で「仕入れ」


 前々から千葉県の梨街道に行き、美味しい梨を安くゲットしたいと思ってた。10年以上前、佐賀県伊万里市の梨産地直売店で、贈答用を買ったら、それ以上の数の梨をタダでもらった記憶があり、産地なら同じことが起きるかなと、貧乏くさいことを考えていた。
まず食用、美味しい

 9月初め、市川市の大町にある梨街道に出かけた。街道には梨直売店がたくさん並び、どれに入っていいのか目移りする。そのうちの1つに入って、大きめ豊水を5、6個買った。その場で食べてくださいと冷やした1個をもらって皮をとると、ホントに美味しい梨だった。直売店はこうじゃなくっちゃ。ただジャム用の安い梨は売っていなかった。


豊水7つで500円


 再び梨街道をゆっくり走っていると、とある直売店の店頭に一袋500円という表示が見えた。車を停める見てみると、小さめ豊水7個入り。1つ70円ぐらいだ。ところがなぜか店の人がいない。しばらく待ってみたが誰も現れない。結局、料金箱(と思われる)ものに500円玉1個を入れて、持って帰った。無人の店の中を見ると、大半が小さな梨で、加工用に売っている店だったのかも。


4つで1・8キロ


 翌日、早速ジャム作りに取りかかった。4つ分の皮をむき、4つ切りにして芯を取り、さらに幅5ミリぐらいに切った。4つで1・8キロほどある。切れ端を食べてみると、これがすごく美味しい。甘酸っぱくてジューシーで。ジャムにするのがもったいないぐらいだ。

 ボール2つに分け、梨を半々ずつ入れ、レモン1個分の汁をかける。砂糖は30%と書かれたレシピが多いが、甘さからみて25%で十分と判断した。しばらく放置。梨から水分が出て、べちゃべちゃになってくる。ただ、梨は崩れることなく形はしっかりしている。


45分でもあまり煮崩れず


 レシピによっては、梨の半分はすり下ろすと書いてあった。この意味は後で分かるのだが、何もせず鍋に入れて煮始めた。沸騰させた後、弱火にしてことこと。30分もあれば形が崩れてジャムらしくなると思ったが、形は保たれままだ。これじゃ困るなと、木べらでつぶしたりしたが、きりがない。そのうち水分も減り、ちょうどいい分量にになったところで火を止めた。45分ほどかかった。崩れたとはいえ、形はまだ残っている。

 あら熱がとれたところで、煮沸した瓶に詰めた。できた量は瓶1個半、500グラムほど。水分が多いせいか、量はできない感じだ。


人生最高の梨ジャム


 食べたのはそれから約1カ月後だった。産地で何度か梨ジャムを買ったことがあるが、それとは違う感じ。市販のものより甘酸っぱさが少し勝っていて、すっきり感がある仕上がり。正直、これまで食べたどんな梨ジャムよりも美味しかった。ホント、もっと作ればよかった。

2019年10月11日金曜日

がん、最後の少し前まで人生楽しめる 絶望するほどじゃないかな

 今年の夏、知人の2人の男がこの世を去った。ともに私と同じがん患者。もう少し生きたいよなあ、と話し合っていたが、一足先に旅立ってしまった。普段それほどのつきあいはなく、訃報はいきなりだったのでびっくりしたが、2人とも死の3カ月ぐらいまで、体調は特段変わらず、海外旅行に行ったり、小旅行に出かけたりと、生活を満喫していた。

 それから坂道を転げ落ちるように悪化したという。がんが分かったとき、私を含め多くの人が絶望的な気分になる。しかし、がんという病気は、最後を迎えるその日のちょっと前まで、人生を楽しめるものだ、そんなことを強く感じた。


切れない肺がん


 1人は会社の先輩で69歳、肺がん患者だった。私より数カ月遅くがんと宣告されたが、小細胞がんという肺がんの中でも極めて予後が悪いタイプ。がんが散らばってできるため、手術もできず、抗がん剤と放射線だけの治療だった。肺がんでは「切れるがんは治る」と言われることがあるが、彼のがんはその真逆だった。救いは極めて初期で転移もないとレベルだったことだ。

 ただ、闘病中はそれほど深刻さを感じなかった。ときおりメールのやりとりはしていたのだが、こちらが抗がん剤の副作用で治療終了後いつまでたっても体調が悪く、帯状疱疹や風邪の発熱、インフルエンザなど感染症に悩まされていたのに比べ、とても元気そうだった。


抗がん剤治療受けながらシンガポール旅行


 最初の治療で退院した後も、再発をうかがわせる影が見つかったりして、何度か抗がん剤治療を受けていた。それでも、合間を縫って温泉に出かけるなど、リタイア後のごくふつーのサラリーマン生活をおくっていると感じられた。御嶽山に出かけ、呼吸が苦しいので途中までだったとのメールや、シンガポール旅行のメールをもらったのにはびっくりした。がん患者ってこういう動き方ってできるんだって元気づけられた。

昨年7月が最後


 最後に会ったのは昨年7月、私が企画した職場のOB会だった。どちらかというと豊かだった髪は抗がん剤のためになかったが、体全体がふっくらしてとてもがん患者には見えなかった。ヘビースモーカーで大酒豪だったが、いずれもやめていた。

葬儀に100人以上の参列者


 ことし7月、昨年と同じようにOB会を開いたが、彼はお腹の調子が悪くなったといってドタキャンした。葬儀の際に家族に聞いた話では、4月にがんの転移が見つかった。7月になると、腹水がたまり始め、8月初めからはかなり苦しそうで、医師側から手の施しようがないとの宣告を受けていたようだ。

 痛みもあったが、家族と話ができなくなると鎮痛剤使用を断わっていたという。意識がなくなる直前、PCのパスワードを娘に伝え、開いてみると、家族に当てた長文の遺書が見つかったという。優しい彼らしい最後だった。
 葬儀には100人以上の参列者があった。OBになってこれだけの参列者があるのは彼ぐらいのものだろう、そんな声もあった。
 

再発大腸がん、転移も


 もう1人の知人は、大学の同級生だった。昨年何年かぶりにメールすると、すぐに「俺もがんだ。5年前に大腸がんの手術をしたが2年後に再発した。抗がん剤治療を受けているが、腹腔内に転移していて、腹水もたまってる」と返事が来た。

治療前に酒


 へたすると、もう2度と会えないかもしれない、と思い、昨年秋、彼が別邸として過ごしている釧路まで会いに出かけた。彼も髪はなかったが、病人の雰囲気はなく、翌日が抗がん剤治療日だったのに酒を飲んでいた。しかも私と会った2週間後に北海道の海に潜っていた。こちらが結構、初めての釧路でびびりながら出かけているのと対照的だった。


今春、イタリア旅行


 今年3月、メールを出すと、5月の大型連休にはイタリア旅行に行くと返事が来た。「まだそれぐらいの余力はある」との内容だったが、そんなもんだなあとつくづく思った。シンガポールに出かけた先の肺がんの先輩しかり、さらには数年前、肺がんで死んだ会社の知り合いも亡くなる3カ月ぐらい前、オーストラリア旅行に出かけていた。

ネットで死を知る


 8月30日ふと気になってメールを送ったが返事は来なかった。9月2日、先の先輩の突然の死が伝わり、同級生のことは一瞬忘れた。先輩の葬儀後、「死んでても返事送れ」のメールを送ったが返事はない。
 彼は私とは別の会社のOBだが、彼の会社の現職の人に訃報が届いてないか聞こうとしたその日、もしやと思ってグーグルに彼の名前を入れて検索すると、一発で出てきた。8月25日午前5時半に亡くなったことを奥様がツイッターで伝えています、と。

奥さんの針治療で体調維持


 彼はツイッターのフォロワーが1万4000人もいる、結構人気があるらしく、ツイッターやブログでさまざまな意見を発信していた。少しさかのぼって読んでみると、年明けぐらいから、抗がん剤が効かなくなったが、次の抗がん剤は体に合わなかったこと。次第に体力が低下し始め、鍼灸師をしている奥さんに針を打ってもらって体を保ち、イタリア旅行に出かけたものの、体力が弱まり、釧路の別宅を閉めたり、墓を探したり、覚悟の振る舞いをしていたことが分かった。2週間に1回ぐらいは温泉にも出かけていた。

 8月19日までツイッターに投稿しており、ぎりぎりまで生きる意欲はあったんだろうなあと感じた。釧路に行った際、年賀状を出すから住所教えろといっても、俺にはそんな習慣はないとがんとして教えてくれなかった。しつこく聞くと、まるでいずれ死ぬと言ってるみたいだったので、深追いはしなかった。しかし、こうなってくると、連絡のとりようがない。

海外は旅の始まり、旅の終わりではない


 先輩は肺がんが見つかって3年半で逝った。一方同級生は見つかって6年、再発して4年で最後を迎えた。さて、私はがん宣告を受けて丸4年。抗がん剤副作用もようやくおさまり、体力が回復し、海外旅行も可能な体調になってきた。今の状況なら、海外に出かけても最後の旅ではなく、旅の始まりのような感覚かもしれない。そんな状態が続くことを祈るのみだ。
 

2019年10月10日木曜日

灼熱の甲子園 注目試合でなくても長い行列

 最寄り駅が阪神甲子園駅だった四半世紀以上前、夏の甲子園で試合を見たことがある。どこのチームか忘れたが、あまり評価が高くない同士の1回戦第4試合で、簡単にネット裏に入れ、浜風を浴びながらゆったりゲームを見た。そんな軽い気持ちで首都圏からのぞみに飛び乗り甲子園に出かけ、そこで見かけたのは、話題があまりないチームの試合でも入場を待つおびただしい数のファンの姿だった。


スターも不在


 過去の記憶から見ようと思ったのは地元以外が出場する午後3時半からの第4試合。この日は福井の敦賀気比と西東京の國學院久我山。いずれも優勝候補やダークホースに挙がっておらず、星陵の奧川や大船渡の佐々木のようなスターがいるわけでもない。第3試合は地元智弁和歌山が登場し満員となるだろうけど、試合が終わればすくはずと判断した。

阪神パークの跡地にららぽーと


 午後2時半、阪神甲子園駅に着いた。もう何十年も見てないが、ホームの上に大きな屋根があるなど雰囲気が大きく変わっていた。すぐに甲子園に向かわず、球場近くにあるららぽーとに向かうことにした。炎天下の中、帽子がないと危険と思ったからで、到着するとすぐにH&Mを見つけ500円ちょっとの野球帽を買った。おやっと思ったのは、甲子園近くに大型店をつくれるこんな広い敷地ってあったっけ?だった。入り口近くの英語の看板に、かつてレジャー施設があったと書いてある。そうだ、阪神パークがあった場所だ。プールに出かけたことがあるが、少子高齢化の今、もたなくなったんだろうなあ。

高速高架下にたくさんの入場待つ客


 帽子をかぶり、ポカリスエットを持って球場に向かう。好天に恵まれ猛烈な暑さだ(当日37度ぐらいあったようだ)。レフトスタンド下からチケット売り場のネット裏に歩いて見てびっくりした。チケット売り場前いっぱい入場を待つ客があふれかえっており、球場に隣接する阪神高速の高架下から甲子園の駅まで列が続いているのだ。数千人?いや万はいるかな。「第3試合が終わり客の数を見てチケットを販売するかどうか判断」とのアナウンスが流れる。わざわざ来たのに入れないという最悪の事態もあるのかなと不安になる。


外野チケット500円

販売が始まらないまま3時半の試合開始時間が過ぎた。列に並ぶと暑そうなので、風が通る高架下の日陰でアナウンスを待つ。4時前になり、よく聞こえなかったが、チケット販売が決まったらしく、長い列は窓口前に進んだ。客のはけ方は明らかに外野の方が早い。かつてネット裏に入ったことは忘れ、確実には入れなそうな外野席に向かうことにした。チケット売り場に並ぶと、大人500円、子供100円の料金が見えた。子供客が多いなと思ったけど、この安さなら連れてきやすいわ。高架下で待っていると、小学生ぐらいを連れたママやバアバを結構見かけた。この暑さ、関西の人はそれほどつらくないのかな。


空きがあるレフトスタンドへ


 チケットを手に入れると、時計と反対回りに外野側に行き、右中間辺りから入場する。建物内部はもっと古ぼけて汚いイメージだったけど、かなりきれいになっている。スタンドに出ると、レフトスタンドはまだ空いているとのアナウンス。バックスクリーンの前方下通路を越えレフトスタンドに入る。確かにまだ空きがある。

めいっぱいの西日


 階段を上がっていくと、通路から2、3席分空いているベンチがあった。早速席に座り、スコアボードを見ると、3回の裏だった。座ってみてレフト側が空いている理由が分かった。何せ暑いのだ。西日を目いっぱい浴びる。銀傘に覆われた内野側は日陰となり、1塁側も背中から西日を浴びるもののスタンドがある程度、日差しを遮っている。それに対し、レフト側は何も遮るものがなく、真正面から強い日差しが飛んでくる。

スタンドはまるでビーチ


 試合は敦賀気比が圧倒的リードだ。先行敦賀は毎回のようにランナーを出し、3回までに8点。これに対し、國學院は1回に2点取ったものの、反撃は続かない。

 そんな試合だから、あまりグラウンドに興味がわかない。回りを見回すと、男の姿はビーチとは言わないがそれに近い状態。Tシャツというより、ランニング、裸もいる。対して女性陣は老いも若きも1ミリも焼かないという意思が感じられるほど、帽子をかぶり全身を覆っている。

甲子園も「こと消費」


 目の前に座っている男性1人(たぶん30代)に左右に若い女性(たぶん20代前半)のトリオ。ぺちゃくちゃしゃべっているが、いずれも会社の話のようで野球の話は出ない。唐揚げにビール、あるいはハイボールを飲んでいる。確かに美味しそうだが、この環境だと野球を見るというより炎天下のバーベキューみたいだ。


 回が代わって、守備についた際、ライトの守備位置近くにビニール袋が飛んできた。外野手は袋を拾うと、おしりのポケットに突っ込んだ。「あの子、ごみを自分で片付けたよね。こういうさわやかな姿が見られるのは甲子園に来たからだよね」。うーん、そりゃそーだけど。「臨場感あるねえ」と男性。当たり前だろ。よーするに高校野球が好きというより甲子園にいるという「こと消費」が目的に見えた。

外野は遠いよなあ


 プロ野球はネット裏近くでしか見る気はしないが、高校野球も外野で見ると、やっぱ何をやってるか分からない。自分が野球をやっていたときもそうだったなあ。ライトを守っていてあまりにボールが来ないので半分寝ていてセンターの上級生から注意されたことがある。

男子野球部員が踊ってる


 毎回のような得点で盛り上がる3塁側の敦賀気比をふと見てみた。レフトスタンドからはアルプススタンドは案外近い。ひもをたすき掛けした野球ユニフォーム姿の男子高校生が踊ってる。いわゆるダンスとも違うのだが、応援団の応援光景とも違っており、おそらく補欠の選手たちだろう。踊りはとてもこなれており、昨日今日憶えたものではないはずだ。

補欠だからといって


 つまりあの子たちは、遅くとも甲子園出場が決まったときから、踊りを練習しているに違いない。あるいは県大会からか。しかし、敦賀気比のような野球学校では多くの選手が中学の時、スター選手だっただろう。そうした選手がベンチ入りできないからといって、応援踊りの練習?それはちょっとかわいそうではないのか。踊るために野球部に入ったわけではないのだから。その横にまだ小学校低学年ぐらいの男が同じ格好で同じ踊りをしていた。前に座ってるトリオも気づき「かわいいー」

凍ったオレンジジュース


 それにしても、レベルを超えた暑さだ。水分補給が必要と、ビール売り子のおねーさんを呼び止める。凍ったオレンジとカルピスを売っており、オレンジを購入した。内容表示を見ると塩分などが入っており、ポカリなどと同じような飲み物。この冷たさにはかなり助けられた気がする。

7回終わって退散 14対2


 意気上がる敦賀に比べ、國學院はランナーもあまり出ず、静かなままだ。やっと出塁すると、ブラスバンドや応援団が立ち上がり、1塁側アルプススタンドが真っ赤に染まって見えた。ただ、反撃にはならず、逆に敦賀が追加点。試合としての興味はほとんどなくなった。

 7回に敦賀が4点追加し14対2となったところで退散することにした。時間は午後6時を回っているが、西日がまだきつい。回りを見回すともう観客は半分ぐらいか。ネット裏もがらがらになっていた。

翌日の試合待つ客が行列


 暑かったという感想ばかりで、甲子園を出た。球場外側を反時計回りに回って、甲子園駅まで歩いた。すでに翌日の試合を待つ客が行列をつくっていた。徳島鳴門と仙台育英が第1試合だが、そんなに満員になるのかなあ。「お疲れさん」と思いながら、駅に入った。まだ帰る客は少なく、三宮行き電車も混んではいなかった。その後、ネットで試合結果を見ると19対3になっていた。