2018年12月13日木曜日

歌える映画「ボヘミアン・ラプソディー」

 映画「ボヘミアン・ラプソディー」を見た。エイズのため45歳の若さで死んだロックグループ「クイーン」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーの生涯を描いた、いわゆる伝記物。一緒に歌える応援上映が話題になっているが、確かに歌いたくなるような雰囲気だった。


とんとん防止でスターに


 前半はパキ坊(パキスタンへの差別)とイギリス出身でないことを揶揄され、中途半端な日々を送る空港のバイトにいちゃんが、ボーカルが抜けた大学生のロックグループに売り込み、とんとん拍子でスターに駆け上がっていく様子が描かれる。ディスコで出会った、洋服の売り子のおねーさんとの恋と結婚。

ライブ・エイドがクライマックス


 全米ツアーを成功させる一方、ゲイに目覚めるマーキュリーは、やがてゲイのマネジャーとカップルとなり、男たちと乱脈な日々を過ごすが、それが元で妻と別れ、グループとの軋轢も激しくなり、やがてソロを目指すようになる。しかし、そんな日々にエイズ感染が発覚、絶望の中でエチオピアの飢餓救済プロジェクト「ライブ・エイド」に参加する。映画はこれがクライマックスで、そのときのライブが描かれ「ボヘミアンラプソディ」「ハマー・トゥ・フォール」「伝説のチャンピオン」などヒット曲を次々と披露。音は当時のもののようだが、実際のこのときのライブは観客を虜にしちゃう伝説のライブといわれているようだ。

当時、クイーンの名の記憶がない


 ここまではいわゆるネタバレ。で、我が身を振り返ると、クイーンがヒットし始めた1974年ごろ、すでに青春してたけど、あのころクイーンという名の記憶がない。ビートルズはすでに解散、ローリングストーンズは独自の戦いって感じで、レッドツェッペリンがトップに上り詰めていた。ただ、好んで聞いていたのはハードロック系ではなく、CSNY(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)だった。

ヒットグループを「ロックじゃない」


 それとふと思うのだが、自分を含め、当時の若者たちはどこかこだわりが強く、ヒットするものに対しわざと背を向ける雰囲気があったと思う。「あいつがツェッペリンなら俺はザフーだ」って具合に。そこに今も残る曲、つまりは聞きやすいヒット曲を連発するロックグループは「ロックではない」とひねくれた発想をしていた可能性がある。

曲はずっと生き残る


 結局、当時のロック曲は歴史に残らず、メロディーが優れたクイーンの曲はマーキュリーが死んで30年近くたっても、CMなど多くの場所で使われている。「バイシクル・レース」など、自転車の映像のBGMでは必ず出てくる。それだけ彼らがすごかったということなのだろう。

青春映画の要素、備える


 映画館では一緒に歌える応援上映が行われ、結構な盛り上がりみたい。平日昼間に出かけたせいか、高齢者が多くて物音一つしない静かな鑑賞だったが、最後のライブの時は、ノれること間違いなく、歌わなくても、思わず足でリズムはとりたくなった。
 観客の数は公開直後より増加しているそうで、大ヒット作となるのは間違いないようだ。クイーンを全く知らない世代も結構、取り込まれているようで、報道などを見ると「自分の生き方を貫くまーキューリーが素晴らしい」などの感想が出ていた。移民、ゲイなどに対する差別と戦いながら、仲間とともに大きく羽ばたいていく姿は若者受けする要素を十分備えている。子供のころから、よく聞いたおなじみの音楽のオンパレードだし。

もう少しでエイズ薬


 マーキュリーが生きていれば72歳。ポール・マッカートニーやミック・ジャガーら70台を過ぎたロックスターが元気で活動しており、同じように活躍していたかもしれない。エイズについても、もう少し頑張っていればと思う。1990年ごろから、エイズウイルスの合成阻害剤が次々と開発され、現代では完全治癒できないまでも、通常の状態で生き延びることはできるようになった。もちろん早世したからこそレジェンドになったのだけど。

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