2019年4月3日水曜日

埼玉をディスってもなあ レベル超えてなかった

 映画「翔んで埼玉」を見た。埼玉県出身者でもなく、それほど興味があったわけではないが、「ボヘミアンラプソディー」「カメラを停めるな」など話題作はだいたい見ており、その延長戦。結論から言うと、見なくてもよかったかな、だった。ティーンの漫画を超えてないもんなあ。


ダサイタマ、チバラギ


 原作の漫画は1980年代初めごろに書かれたもの。まだバブルどころか、第2次石油ショックなどの影響で、日本中が重苦しい雰囲気に包まれていた。そのころ、特定の地域をおちょくる、最近で言えば「ディスる」ことがはやっていた。第1回流行語大賞を受賞した故渡辺和博の「○金・○ビ」。一連の著作の中で、出身地の広島県の呉市が郊外の広をバカにし、広はさらに郊外の仁方をばかにするなどの姿を描いていたが、そのレベルをはるかに超えていたのが「チバラギ」「ダサイタマ」だった。

バブルで都内居住は夢に


 当時、地方の若者だった私には、東京に就職したとき「千葉」「埼玉」、場合によっては多摩川の向こう側(川崎や横浜)に住むことなど考えられなかった。当時、会社の先輩は大半が都内、遠い場合は鎌倉というのが定番だった。バブルによってそんなことは夢のまた夢になる。同世代で、都内に家を買った人間は皆無となった。都内の賃貸族も購入の際には東京を出るしかなかった。通勤に1時間半はかかる場所からの通勤はふつーとなった。たまに都内に家を買った人間もいたが、多摩ニュータウンに八王子だった。

 そんな時代の変遷を見ていると、なんで今更、埼玉をディスるような作品が出てくるのかと感じた。病気の高校生に「埼玉の人間はその辺の草でも食べさせておけば治る」などという二階堂ふみの台詞は、あまりにも奇異で笑う気にもなれなかった。

埼玉もほかと同様、流入組


 もっとも埼玉ではとてもヒットしているらしい。毎回、上映のたびに拍手が起き、埼玉県人の「聖地」池袋での反応はすごいようだ。埼玉に限ったことではないが、首都圏の各都県では、純粋にその地域出身者というケースは相対的に少なく、東京と同様、全国からの流入、寄せ集め。おそらく埼玉のことがいくらディスられても、さほど気にならない、むしろ居住地の話がネタになれば楽しい、ぐらいの感覚に思える。

こんな狭い国で地域のことを言ってもねえ


 それにしても、日本という国は地域のことをあーだこーだというのが好きな国民だ。佐賀をディスってデビューしたはなわが、ラストの歌を歌うところが象徴的だが、特定の地域のことを小馬鹿にしたりすることが実に多い。なぜかはよく分からないけど。「あいつはロスだから「あいつはシカゴだから」と言って、傷つけ合うような文化って。世界的にあるのだろうか。狭い島国だけによけい不思議だ。」
 

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